昭和四十五年六月二十四日 夜の御理解
午前中の奉仕の時でしたが、【 】さん達親子が参ってきてあらたまってみえて、今日は私の三十五歳の誕生日でございますから、お礼を申し上げてくれとの〔ことでございました〕。御祈念をさせてもらっていたら『行き届いた信心』という事を頂きました。これから行き届いた信心をさせて頂かなならんが、行き届いた信心とはどういう風に行き届いていったらよいだろうか、といっておられたが、とにかく、天地の大恩を悟らせてもろうて、その天地の大恩に報い奉る信心というかそこに生涯、生きがいを感じれれる信心だろうという風に申しました。
お互いの信心がどういう事になっておるでしょうか。はあ毎日、日参りが参らせて…信心がでけておる。けれどその信心が、例えば、世のお役に立つ事の為に私共のこれからの信心がね、厳しくいうなら命がかけられるという事又、そこに
生きがいを感じておると・・・。もうこれは大変な事だと思うんですよね、そこに、生きがいが感じられるという信心。だから、なかなか難しいけれどお互い足りない、やっぱり行き届いた信心というものが、だんだんでけておるうちにだんだんでけてくるのでしょうけれどね。
ちょっと前に久留米の佐田さんが来られました。一昨日、恵介君が、友達が投げたねんどが左の目に当たりましてね、まあすぐ先生が眼科のお医者さんにつれて行かれましたそうです。これは今夜あたり痛むだろう、明日は目が充血してあおじむじゃろうけれども、明後日くらいからちった楽になるだろうというて云われた。そん時にですね、恵介君が言うてる事が「僕は、お医者さんに行かんでも
直る。先生、誰々君が悪いんじゃなくて僕が悪いんですから。」と、しきりに言うたそうです。あちらのお母さんがお詫びをして、治療費も出させてくれ、ここにお菓子箱をお見舞いとして持ってこられてるんですけれど、それをどうしてもとろうとされなかったそうです。お菓子箱だけは、と言って置いていかれたから、
と言ってこちらに持ってお礼に出て見えたんですけどね。恵介君が言うように、
けがをさせられたじゃなくて、こちらが悪かったんだとこう言う、そういうような本当な見方がですよね、まず、だんだんでけてくるようになるという事は素晴らしい事だと私は思いましたね。そん時に、佐田さんがまた、言うておられるのに、その前の日に、元女中さんにおられた方達の夫婦が今、日向の山奥におられる、それが仕事が石切さんだと…それで久富建設に夫婦、雇うてもらえんだろうかという事を話しておった。あそこへつれて見える前に夫婦ここにつれて見えられた。そのご主人の人は、なかなかあっさりして…さっぱりしてよか人でした。とにかくこの人は、正直で素直でと言われますから、いくら正直で素直でもね、それだけではおかげは受けられない事をお話しまして、「信心とは心に光を頂く事だから」という事をしばらくお話しました。
今日、佐田さんが見えて二人を正義さんとこにつれて行って二時間近くお世話になりました、と言うておりましたから・・・
帰りがけにご主人がバスの中で言われる事、今日、合楽の先生が「人間は信心によって光を頂く事だ」と言われたが、あそこん、久富建設の社長さんこそ、心に光を持った人という人でしょうね」と言われた。自分の事をほめられたように
嬉しかった、と言うておられますがね・・・
今日は【 】さんのお誕生日、三十五年のお礼を神様に申された。その事が行き届いたというかどうか分からんけれども『行き届いた信心』とこう云われた。
そこで【 】さんは、行き届いた信心とはどういう信心をこれからさせて頂いたらよかろうかと願うておられるところに、私共の信心がこれからの信心が、世のお役に立たせて頂く事の為に、生きがいを感じれるような信心を頂くといったような事だと申しました。
次々。佐田 恵介君が、子供ながらにけがをさせられておって、友達が悪いのじゃない僕が悪かったんだ、僕があそこに立っておらなかったらよかったんだ、というような言い方をした。帰ってお母さんに言う事が「あんときゃね、だいたい授業中でうちん中に入っとらないけじゃった、それが僕が外に出とったけん神様が、おきづけ下さった」とお母さんに言うたというんですよ。子供ながらにそして分かっていきよる、本当の事がだんだん言えれるようになってきたという事が有り難い。日頃のいわば行き届いた信心の中から子供もやっぱり行き届いた信心を身につけていきよる。
正義さんの事。その正義さんの事を、ああいう人こそ光を持った人でしょうねと、僕は【 】命がけで出来そうだ、と言うたそうですね。だから、もう店が繁盛するとか発展するというような為には、どうしても、そういう自分の為に命をかけてくれるということは、一生懸命になってくれるという事なんですね。なってくれる人達が、そのようにでけていくという事だと思うですね、もうたいせいした人の周囲には手になる足になるその自分の命がけで働いてくれる人達が絶対に揃わなければ、たいせいするのじゃないのですからね、そういう内容を正義さんが持っとる、なる程ずっと信心がでけとるからでしょう。思わせて頂いたここで、そしたらね、あそこの嫁さん、たつえさんの顔がちらっと頂いて【 】素顔を頂いた。これは、ほんにひとつのものがなされていく為には、夫婦がやっぱりうつくしゅうなっていかないかん。夫婦がひとえと信心になっていかないけないなて事も…佐田さんには、申しはしませんでしたけどね【 】 どうぞ。